HOME べっ甲について べっ甲の歴史

長い年月を経て生まれた長崎べっ甲

べっ甲の歴史

サンプル画像

 べっ甲は古く奈良時代から存在が確認されており、奈良正倉院の所蔵品にもべっ甲細工が保管されています。

 当時はべっ甲という言葉はなく、べっ甲のことをタイマイ(玳瑁)と呼ばれていました。玳瑁(タイマイ)という漢字は紀元前の中国漢時代にはすでにあったとの報告がされています。

 当時のタイマイはインド洋を中心にローマ、ベトナム、タイ、南志那などの地域において献上品として取り扱われていました。また、漢時代の墓の中に副葬品としてタイマイがあったことも記されています。

 そして朝鮮、中国を経て日本へ伝えられてきました。それは7世紀の奈良県上之宮の遺跡からタイマイ片が出土したことで判明しました。この当時の朝鮮との国交易でタイマイは貴重品として日本に持ち帰られていたのです。


タイマイは漢方薬として珍重されていた

このべっ甲は古く7世紀頃よりタイマイと呼ばれ、朝鮮半島より運ばれてきました。
そして南方海域に生息しているタイマイ亀が唐船を通じて日本に持ち込まれてきました。そのタイマイは漢方薬として使われ、とても貴重で高価なものとして取引がされていたようです。
鎌倉時代以降になると中国福建省からも輸入されており、漢方薬の中にその名が記されていました。


タイマイという工芸品は眼鏡の縁から

このべっ甲は古く7世紀頃よりタイマイと呼ばれ、1100年代の平安時代末頃まではタイマイの名称を使用し、装飾用に使用していたとの記録が残っています。

サンプル画像

その後タイマイが再び工芸品として脚光を浴びたのは室町時代末頃、足利将軍の時代です。
それらは眼鏡の枠として使用されていました。その当時ガラスの眼鏡はヨーロッパで発明されており、16世紀の初頭、マカオ方面を経由して日本にも伝わっています。
織田信長、豊臣秀吉の時代にはすでに眼鏡は異国趣味のものとしてもてはやされていたようです。

このページのトップへ